良盤スタッフの休日

PIERROTを好きになったきっかけとライブ

私とPIERROTの出会いは、『Break Out』(ブレイクアウト)という、1996年~2001年にテレビ朝日系列で火曜日深夜に放送されていた、音楽番組でした。

全国のインディーズバンドを紹介する中、特にヴィジュアル系バンドを多く取り上げたこと、当時の司会が「ロッキンママ」こと、東海林のり子さんだったこともあり『ヴィジュアル系ブーム』の一翼を担った番組と言えます。

当時小学生だった私は「ヴィジュアル系」という自分の知らない世界があることに衝撃を受けました。

それでも「男のひとが化粧してもいいじゃん!」とすんなり受け入れた自分を、今ではすごく褒めてあげたいです。

ここで別の印象が芽生えていたら、私の人生は大きく変わっていたと思います。

この番組には、後に「ヴィジュアル系四天王」と言われるLa’cryma ChristiやFANATIC◇CRISIS、SHAZNA等も出演していました。

合間のCMに至るまで、徹底してヴィジュアル系バンドを取り上げ、紹介し、広めた番組の先駆けでした。

そのまま引き込まれるように番組にハマり、ある日ゲストとして出演したPIERROTのメンバーに、恋に落ちました。

東海林さんの言葉に大声で笑うギターの潤くんを見て、ヴィジュアル系=怖い、というイメージが崩れていきました(笑)

そこからは転がるようにPIERROTの沼に落ち、CDを買って、雑誌を買って、楽しいバンギャ生活がスタート。

そのうち、家でCDを聴いたり雑誌を読んでいるだけじゃ物足りない…、とライブに行きたい衝動が沸き上がり、友人にお願いしてチケットを取ってもらい、初めてのライブへ。

当時学生だった私は、制服のまま電車に飛び乗り、会場がある最寄り駅へ。

その駅のトイレで私服に着替え、ドキドキしながら友人と会場に向かいました。

初めて見る、コスプレイヤーさん達。

初めて出会う、友人以外のピエラーの方々。

既に熱気で溢れた場に「とうとうPIERROTのライブ来ちゃったね…」と借りてきた猫状態でした。

初めてのライブは、とにかく目の前のことについていくだけで必死で。

テレビや雑誌でしか見ることの出来なかったメンバーが目の前にいて。

見よう見まねでフリをして、ヘドバンをして。

本当に「夢のような」時間でした。

ライブが終わった後も、放心状態で。

「キリト、本物だった…」と興奮と感動と叫びたい衝動がうわああああとなって。

多分、その瞬間に「一生、PIERROTについていく」って決めたんだろうなぁ(笑)

帰宅しても興奮は治まらず、母親に「すっごいよかった!キリトがね、アイジがね…」と、一から十まで延々と話す始末。

ほんの数時間前まで、メンバー5人と同じ空間に居た、ということが嬉しくて。

「ライブってこんなに楽しいんだ」と体感しました。

PIERROTのフリって、独特というか中毒性があるというか。

ピエラーさん達の一糸乱れぬフリは、まさに圧巻だと思います。

そこからは、今まで以上にPIERROTに重い愛情を注ぐようになりました(笑)

CDを買うのは勿論、メンバーが表紙の雑誌は「読む用」と「保管用」の2冊買い、ライブチケットの発売日には、周りの友人達を巻き込んで、チケットを取るために電話をかけまくっていました。

雑誌でメンバーが着用していたものと同じブランドの服を買い、週末は原宿の神宮橋に通い、たくさんのピエラーの方々とお友達になりました。

ここで少し、人見知りを克服できた…かもしれない。

もう「寝ても覚めてもPIERROTだけ」と自分でも思うくらい、口を開けばPIERROTのことばかりで。

当時「学校に行きたくないなぁ」と思うことが多かった私は、PIERROTに出会ったことで人生が変わりました。

家に帰ればCD聴けるじゃん、あと数日我慢したら雑誌の発売日じゃん、と思うことで、ある意味、現実逃避をしていたのかもしれません。

今私がここに居て、このようにブログを書くことが出来ているのも、あの5人が居たからだと思っています。


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