「古くなってもすてきなのに」
クラブミュージック担当:荻原の紹介

🐥 レコード査定担当の荻原、えっと一応…女(妙齢)です。うちの会社ではレコードやバンドグッズはたまたデモテープから楽器まで音楽系のものは幅広く取り扱っているのだけど、サイトリニューアルという事で各担当の自己紹介でも!というお達しがあり、さてどうした物か…と思いつつ。

🐥 そう言われると、当時割とお世話になった、渋谷は宇田川町の《DMR》※1のことが気になってググると、既にレコード販売は停止していた事を知った。

ミスターフリーダムのサントラがリ・イシュー?!

※1 ミスターフリーダムのサントラがリ・イシュー?!DVDも出る?映画もやる?ネットオンデマンドの時代には想像のつかないありがたみは、ボロな我が家から突然石油が湧いたような衝撃だった。
そうでもしなきゃ観れないものだったから。で、ゴダールは割と再上映してたのだ。でも中国女はYMOで知ったクチで映画というよりかはコダックのよく出来た「写真」3回みて2回寝ちゃったみたいなミーハーぶり。
でも「ゴダール全発言」は一応持ってる。みたいな

音楽ニュース系の過去記事によるとレコード店舗閉鎖とのことで、それは「老舗の撤退」と表現していた。うーん、老舗‥。それはそうかもしれないし、私の肌感覚では《DMR》は割と革命児だったな、と。

だから個人的には最近の世代だったと思うわけで、それは多分多くの人が自分の思うファッションアイコンを久方ぶりに見た時に急に過ぎ去った年数の実感が沸かず「つい、この間だったよね?」と思う事と同じで…

詰まるところBjorkだったり、カヒミ・カリィだったりね、そんな事をぼんやり考えながら当時の事を思い出していた。

令和の昨今ではなにやらシティ・ポップだの、アナログ盤高騰!だの局所的にCDプレスをレコードのプレス数が抜いた!とか再ブームとかトピックスは多いけど、実はあの頃の私たちはそんなに喜んでいない…でしょう?

音楽というのは常に時代だったし、現場って言われたら常に買い、漁り、歩く事でしか維持出来ない概念だったはずだった。
でも何の因果か今はレコード査定の仕事をしている私のそんな過去を振り返りつつ簡単な自己紹介したいと思う。

🐥 あの日、あのときと思い出せばキリは無いけど、CISCOが撤退して、ソニーテクノが解散して、いつも「現場」に居たつもりだった私達は気がつけばテンネンダイとか急に言われても…とか思っていたら2021年。

多分この20年はネットが多くの事を吸収してしまった。

ネットが市民権を得た頃、クリエイターにとっての桃源郷が広がっているかのように見えた、でもそれはTVと同じだった、少なくとも私には。

だからある日シティポップってジャンルが出来るとはねぇ…なんて気楽に考えていたら「新蒸気波(ヴェイパー・ウェーブス)」※2に行き当たりちょっとクラクラしてきたのだった。

そして「現代におけるストリートとはネット上のことだ。」という一文を目にして急に焦ったのだ。それは、かつて捨てたものが瞬発的な熱量によって今なら取り戻せるのではないか?ってね。

新蒸気波(ヴェイパー・ウェイプス)

※2 生涯聴いているのはアンビエント。良く「ニューエイジ」とか「癒やしの」とか言われるとつい、カッ!となって「一緒にしないでください!何故なら!(早口)」となる。マニアが「カッ!」となるものとして有名なのは細野さんやYMOマニアへ「GAOさんの《風をあつめて》素敵ですよね」がある。あ、蒸気のほうの話でしたね、「テレビ体験 Y.2089」聴けばいいと思う。そしてサジェストで「吉村弘」とか出てくるYoutubeよ、つまりラジオスターの悲劇だな。ビッグデータ!

🐥 1990年の私はといえば、ウィリアム・クラインとゴダールが好き※3という分かりやすいステレオタイプの自称川崎の「サカエちゃん」みたいなもので、現場とかいうけど、現場って何だろうとか考えながら、西新宿はダイカンプラザでノイズテープを買い、帰りにブート専門店を冷やかしてラフ・トレードで「こっちの再発は音がいい。」とか言いながら宇田川町に行くか、穴場の外神田を回るかと考えながら結局ベローチェで150円のアイスコーヒーを飲みながらどこでも紙袋から盤を取り出してしまう女だった。

給料日の翌日にはほぼ全額レコードやディスクに変わり、残り30日で残金1万円。1日333円で生活!みたいな番組企画みたいな生活を散々送ってきた。

※3 つまり、セ・リーグとパ・リーグどっち?じゃなくて野球が好き。みたいなところでひとつ。好きついでに、「ビートルズとエルビスを足しても敵わない、でも誰も彼らを知らない」の予告が懐かしい世界で最もナンバーワンヒットを出した、バックバンドのファンク・ブラザーズが在籍したモータウン。しみしみ大根。

で、結局友達から借金してそれでまたレコード買っちゃうんだけど。良くレコ買い仲間からは言われた「買いすぎだよ」※4と。

買いすぎっていうのは実は結構色々な意味があって、まさに「買いすぎだから控えたら?」(お金が勿体無い。)というのもあれば「馬鹿だなー」という好事家ならではの褒め言葉もあり、私達の間ではそのどちらでもなかった、自称音楽にそれなりに詳しいぞ?と思っていた私達にとってその言葉は、つまり「そんなに買うべきものは無いんだよ」という意味だった。

※4 レコードの蒐集家の凄い話ばかりこれでもかと詰め込んだ本。私はここまでではなかったけど、同じ世界に住んでたなぁ、と。つまり「レコードありすぎじゃないか!床が抜けるぞ!でもそれで死ぬなら最高の死に方なのかな・・って思っちゃう人種」の人の本。わはは。レコードを様々な単語に置き換えてみよう。それがコレクターだ

でもそんな言葉は私には馬耳東風。東風といえばキョージュ!※5みたいな感じのフニャフニャ頭でとにかく聞いたことのない刺激を求め買い続け、フェイバリットな一曲の更なる拡張を求め、かすかな手がかりを元に更に買い続けた。

教授の本

※5 YMOのなかでも御三方全員好きなんですが、時期によって教授に傾倒したり、細野シャンばかりの時も。あ、ユキヒロさんの「BlueMoon Blue」のアナログは出ないんですかね?教授の出版関係の仕事は全部読んだクチ。にわか。本本堂。長電話。

🐥 永遠にレコードを買い続けるかのように思ってた私だったが、大きな転機が訪れた。

1度目は21歳の頃の転職で東京のデトロイトこと新小岩から埼玉へ引っ越した事、それは必然と当時職場で私の知らないジャンルを教え、定期的に欧州横断バックパッカーしつつ絵葉書を送ってくれた姉貴分の師匠との別れもあった。

お互いの音楽的始祖が方やパンク、方やテクノにあったが、共通の中間ジャンルとしてポストロックとクラブが上手く噛み合った「トータス」がお互いのお気に入りだった。

私が都内を去る年末、井の頭公園近くのスターパインカフェにトータス一派のプライベートパーティとも取れるイベントがあり、午前3時二人はそこにいた。

明け方前のフレッシュネスの珈琲片手に井の頭公園で初めて埼玉に戻る事を告げたとき、儚なく引きずってきた子供時代が一つ終わったような気がする。

その後は衝動買いのような気持ちがなりを潜め、仕事の休憩時間にちょっと散歩でレコード1枚♡みたいな気軽さは人外魔境の田舎の地元には無く月に1度の都内へ買い出し…のようになっていった。

その2年後結婚を境にレコードを買うお金も、置くスペースも、聴く時間も大幅に減り部屋の一番良い所に置いていた自慢のDJセットもレコードも全て仕舞い込んでしまった。

その頃巷では1台に1000曲入る。というキャッチフレーズでiPodが大ヒットを記録してこの間までMDを使っていた人たちが急に「エムピースリー」という単語を使いだした。

ipod。エムピースリー。

電車通勤だった私はせめてこれだけでもと買って、長い通勤時間に愛用する事になる。そしてこのiPodがその後大きく人生を変える事になってしまうのだけど、それはまたの機会で